ピースライブ 魂の出会い 五十嵐正史vs.よう介。芸術村のライブがCDになりました。勇造の息子ふたりが火花を散らしながら、熱く歌ったトリビュートライブ。 1000円※ピースライブ会場で販売

Peace Liveな日々

豊田勇造ライブつながりのミュージシャン、 役者のライブレポートとを載せていきます。

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いよいよ

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最後の稽古のあとで(よう介さん、ゆうじさん、ぎゅうさん)
劇団乳酸菌の公演は、いよいよ明日だ。芝居の仕上がりは、十分。みんな本番に強いから、大丈夫だ。僕はプロデューサーや製作などと名乗っているが、一番の仕事は「恐怖新聞」の制作。公演前日にやっとできた。下の文章は、編集後記のつもりで書いたもの。実際はずいぶん割愛したけど、僕の正直な気持ち。

プロデューサーの恐怖話
バイクに乗っていて、車とぶつかったことがあります。幽霊を見たこともあります。癌の手術を受けたこともあります。右翼におどされたこともあります。白タクに乗ったら運ちゃんが、ヤクザだったこともあります。東日本大震災では、自分の部屋にいたら家具の下敷きになっていたかも知れない…。どれが一番恐いかというと、今一つピンと来ません。ひとつ思い出せば、幼稚園にあがる前のことでした。その頃は恐いという自覚がなかったのですが、かすかな記憶をたどると、ゾクっとすることがあります。
道路を舗装するローラー車が停まっていたので、乗って遊んでいました。運転席にあるレバーを引っぱったら、何とエンジンがかかってしまったのです。周囲には、星飛雄馬が住んでいたような木造の家が並んでいました。運良く近くにいた八百屋さんのお兄さんに、抱きかかえられて、こと無きを得た次第です。エンジンがかかって動きだしたら、巨大なローラーで家をぺしゃんこにしていったに違いありません。
製鉄会社の社宅の団地に住んでいましたが、木造の社宅も残っていて、当時はまだ土の道がほとんどてした。昭和40年代の頃の話です。
その団地をグーグルのストリートビューという機能で検索して、画像を見ると、当時とはまったく違う風景になっていました。団地全体が巨大な工場となっていました。これは小さくはない喪失感でした。
僕ももうすぐ47歳となります。年寄りではないかも知れないけど、決して若くはない年齢です。しかしどうしてピースライブのようなイベントができるかと云えば、豊田勇造さんというシンガーがいたおかげです。今年63歳になりますが、僕と出会ったときのままでいてくれています。当時の勇造さんの年齢に、いま僕がなろうとしているので、何も自分から老け込む必要もないと感じるわけです。
豊田勇造さんは、劇団乳酸菌の団長、よう介の師匠でもあります。十年以上続けてこれたピースライブで劇団乳酸菌の公演ができることが、とても不思議な縁と感じます。
しかし、これからはもっと恐怖が待ち受けているかも知れない。共通番号という住基ネットとは別に、強制的に個人番号が割り振られる制度が、国会で審議されようとしている。病歴や税金・年金の滞納、障害、失業歴なとが、番号から検索すれば、わかってしまう。夢を追い求める役者や音楽家は、世の中から厄介者にされかねない。この反対運動も豊田勇造さんとの縁が始まりです。劇団乳酸菌のメンバー、芝居を観てくれた人、みんな幸せになってほしいというのが僕の願い。それを脅かすものとは、闘いあるのみ。
昨年の公演は、個人的には、震災後の自粛ムードを振り払いたい一念でやってきました。やはり表現が脅かされる世の中が、一番恐いのではと感じています。
テーマ:生きるための歌 - ジャンル:音楽

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豊田勇造さんをメインに浦和でPeace Liveという音楽イベントをやっています。

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